シモ・ヘイヘとは1939年から1940年にかけて起こった冬戦争で活躍したフィンランドの軍人。
白い死神と呼ばれ恐れられた。
スナイパーとして史上最多の確認戦果505名射殺の記録を残している。
モシン・ナガンM1891を土台に改良したモシン・ナガンM28を使用していた。
モシン・ナガンには3.5倍から4倍の倍率を持ったスコープが装着できたが、これを使用せず、銃身に付いた鉄製の照星と照門のみで
狙撃を行った。
公式確認戦果である505人は世界最多記録として知られるが、このなかには狙撃銃以外の火器による殺害数は含まれていない。
サブマシンガンの名手でもあり、「殺戮の丘」の戦闘ではKP31サブマシンガンを用いて、記録では200人以上、非公式なものを含めれば
狙撃で殺害した505人よりも多くの敵兵士を倒したと言われている。
2002年4月1日(満96歳没)

シモヘイヘ伝説
わずか32人のフィンランド兵なら大丈夫だろうと4000人のソ連軍を突撃させたら撃退された
シモヘイヘがいるという林の中に足を踏み入れた1時間後に小隊が全滅した
攻撃させたのにやけに静かだと探索してみたら赤軍兵の遺体が散らばっていた
気をつけろと叫んだ兵士が、次の瞬間こめかみに命中して倒れていた
スコープもない旧式モシンナガン小銃で攻撃、というか距離300m以内なら確実にヘッドショットされる
いとも簡単に1分間に150mの距離から16発の射的に成功した
野営中の真夜中にトイレからテントまでの10mの間にヘッドショットされ即死
戦車と合流すれば安全だろうと駆け寄ったら、戦車長がシモヘイヘから狙撃済みだった
赤軍の3/100がシモヘイヘに狙撃された経験者
「そんな奴いるわけがない」といって攻撃しに行った25名の小隊が1日で全員死体になって発見された
「サブマシンガンなら狙撃されないから安全」と雪原に突撃した兵士が穴だらけの原型を止めない状態で発見された
5階級特進で少尉となったシモヘイヘに狙撃の秘訣を尋ねると、ただ一言「練習だ」
駐日フィンランド大使館がTwitter公式アカウントで、「シモ・ヘイへではなく、実際には『シモ・ハユハ』と読みます」とつぶやいた
トップページFPS用語集>シモ・ヘイヘ