山本五十六とは
新潟県出身の大日本帝国海軍軍人。
第26、27代連合艦隊司令長官。
最終階級は元帥海軍大将。栄典は正三位大勲位功一級。ソロモン諸島ブーゲンビル島上空で撃墜され戦死したとされる。
生誕時の父親の年齢から「五十六」と名付けられた。
負けず嫌いで、小学生時代「何でも食べるが鉛筆は無理だろう」とからかわれると、その場で鉛筆を食べだした。
1919年(大正8年)4月5日にアメリカに駐在、ハーバード大学に留学した(~1921年5月5日)。
米国の油田や自動車産業、飛行機産業に強い印象を受けている。
日本では専売指定されていた砂糖と塩がともにプラントで大量生産され大量消費されていることをワシントンの喫茶店で身をもって知り
彼我の物量の圧倒的な差にショックを受ける。
後に軍縮会議出席のため渡米中、山本がコーヒーに多量の砂糖を入れて飲むのを見た同席者が「ずいぶん甘党ですね」と声をかけると
「できるだけ(仮想敵である)アメリカの物資を使ってやるんだ」と冗談で答えている。
日米開戦に反対したので、反戦主義・平和主義という意見もあるが
アメリカ相手なら勝てないので反対した。逆に勝てる戦ならば賛成したので平和主義ではないという意見が多数である。
1943年4月18日午前6時、山本を含めた連合艦隊司令部は一式陸上攻撃機2機に分乗してラバウル基地からブイン基地へ移動中、ブーゲンビル島上空で、アメリカ陸軍航空隊P-38ライトニング16機に襲撃・撃墜され戦死した
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